星のある暮らし

星読みによるリアル体感を発信中!

文明の進化を生かすも殺すも使い手次第

 

ここ数年は、SNS上の誹謗中傷やら、

不安を煽ることで「バズらせる」方法などが

横行していて、

見ているとなんだか気が滅入っちゃいますね。

 

逆に、温かい話題によって、

SNS上が幸せ感に包まれることもある。

(猫ちゃんの話題とか多いですよね!)

 

 

 

先日、久しぶりに

ウォークマンに残っていた

SEKAI NO OWARIさんの曲を

聴いたんですね。

 

昔、聴いていたときは、

PVのイメージもあり、

不思議な世界観でちょっぴり怖いような

そんな印象を持っていました。

 

でも、ここまでの数年で自分も

どん底を経験し、

星読みとか自然との繋がりとか

色々体感してきたからなのか、

曲を聴いていたら涙が止まらなくなって。

(金星魚座ここに現る〜笑)

数年前に聞いていたときと印象がまた違って、

一気に世界観に引き込まれました。

 

曲の中に「自然」が出てくることが多かったり、

心の機微が絶妙に表現されていたり、

聞くたびに泣けてきちゃうんです。

心優しくて、相当深い葛藤を経験した人にしか

表せない作品だなぁと毎回思います。

 

 

「RPG」「炎と森のカーニバル」

「スターライトパレード」「眠り姫」

「Dragon Night」…

 

「Dragon Night」の歌詞は

第一次世界大戦のクリスマス休戦を

イメージして書かれたらしく、

それを知ってから聞くたびに泣けてしまう。

なんだかここ数年で涙もろくなったなぁ。

 

 

 

んで、ちょっと話は逸れましたが、

「スターライトパレード」の最後に、

「それはまるで僕たちの文明が奪った夜空の光の様に」

というフレーズがあって。

 

それを聴いて、

「あ、思い出した」と。

 

幼少期から人口の多い都市部で暮らしてきましたが、

夜空を見上げても星があまり見えない。

田舎の祖母の家に行ったとき、

夜空を見上げてびっくりしました。

「星ってこんなにあったんだ!!」って。

生活の照明によって、

自然の一部が見えなくなってしまっていたのだと、

なんだか複雑な気持ちになりました。

 

久しぶりに「スターライトパレード」を聴いて、

このことを思い出しました。

 

 

文明の進化は、私たちに

便利さ、快適さをもたらしてくれるし、

それによって得られる幸せもたくさんある。

でも、

自然の光やそこにあった美しさをかき消すことにもなった。

自然界と人間がさらに遠く、

切り離されていくような気もする。

 

生活に必要な電気はそこまでひどくないかも

しれませんが、

せっかくの文明の進化が

争いに使われたりするのは悲しい。

 

「プロメテウスの火」の話は聞いたことがありますか?

暖をとったり、調理をしたり、

暮らしを快適にするための火、

人間はいつしかそれを戦争の道具にした。

 

ダイナマイト開発の話もそうですよね。

いつのまにか争いの武器として

使われるようになってしまった。

 

そして、現代のSNSも一部では、

誰かを攻撃したりやましいことをするために

使われている。

 

開発者はきっと

誰かが悲しむことに使うなんて望んでいない。

(時代・分野によっては利益追求の考えも強いかもしれないけど、)

きっと「ただ世の中がより良くなるように」という

気持ちがベースにあったはずで。

そんな温かい想いも、

身勝手な使い方をするユーザーによって

歪められてしまう。

 

倫理的な、この一線を越えるのは違う、という

明確な線引きは難しいのだけど、

ユーザーがその境界を大きくはみ出して

文明の進化を乱用するというのは…。悲

 

乱用するのは一部の人で、

結局最後は使い手のモラル次第なのだけど。

 

 

「便利がいい」って思う気持ちはあるけど、

都市部なんてもう充分「便利で豊か」なのでは?と思う。

何をもって便利と定義するのか、

どこまでいけばもう充分と満足するのか、

難しいところですが、

過剰な便利さは、

そこから心の崩壊や不健康をもたらすのでは?

 

もはやここまで来ると、

より便利にすることよりも、

経済的豊かさを求めることよりも、

人間の心の豊かさを取り戻すことが課題になるのかも。

 

今や生成AIがイラストや音楽をつくってしまう時代、

その作品に「温もり」「熱い想い」はこもっているのだろうか…。

どこか事務的な感じもして、

ちょっと怖いような寂しいような。

「そこに愛はあるんか!?」

結構このフレーズ、大切なことだと思う!

 

 

すでにある豊かさに目を向けることを疎かにして、

より早く、より便利に、より思い通りに、

って、ん?それは本当に幸せなのか?

行き過ぎたことをしているときはきっと、

行き過ぎているって気づきにくい。

バブルのような。

あとで振り返って気づいても

果たして戻れるのか・戻せるのか。

便利なのはいいけど、管理ができるのだろうか。

新しい技術って、大抵、不正利用に用いられるときが来ますし。

なんだかずっと心が落ち着かないような。

 

便利さを著しく超えていくのなら、

それは常に、

心の貧しさと隣り合わせになるのかもしれない…

なんて思いました。

文明の進化が行きすぎた感覚になったときこそ、

先人たちが残してくれた素晴らしい「文化」

今一度目を向けてみたいなぁと。

 

 

風の時代のあとには水の時代が来ますが、

「機械化がいくら進んでも、結局は心の繋がりだよね!」

ってな感じでどこかではっきりと気づき、

人類が皆、温かい方向へ着地したらいいんだけどな。

 

 

 

んー…

せっかくの文明の進化、

それぞれの正義はあるとしても、

みんなで平和に、悪に染まらずに、

愛のある使い方までにとどめたいですよね。

 

文明の進化を生かすも殺すも使い手次第。

 

文明の進化も、古代の叡智も、

未来がより幸せになるようにと大切に受け継いできてくださった

先人たちの気持ちを踏み躙ることなく、

自分たちもその想いを尊重して大切に受け継いでいかないと。

 

 

星の叡智、占星術は

約5000年の歴史があるわけですが

(個人鑑定はここ100年くらいのことだそう)、

農耕、政治などに生かすために、

世の中をより良くするために用いられてきた術。

 

私もそんな占星術を扱ってお仕事をさせていただいている

という気持ちを忘れずに、

謙虚に誠実に取り組みたいと、

久しぶりに「スターライトパレード」を聴いて改めて思いました。